切り裂きジャックとは何だったのか?犯人は誰?


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1888年8月31日未明のことである。

出勤途中のトラック運転手がホワイトチャペルのバックス通りで地面に横たわっている女を発見した。

スカートが腰の上までめくれあがっている。彼は最初、強姦だと思った。

だが近づくと女が死んでいることに気づいた。

喉を切り裂かれている。

腸が飛び出している。

性器にも刺し傷がある。

犠牲者の名はメアリ・アン・ニコルズ。

42歳で5人の子持ち。アル中の売春婦だった。

当時、イギリス人は多量の酒を飲んだ。

貧しい庶民にとって、人生は飲んだくれて忘れてしまいたいことばかりだったのだ。

17世紀前半までは、ワインやビール、シェリーや蜂蜜酒や林檎酒が飲まれていた。

しかし、これらのアルコールは高価である。

そんな中現れたのが、ジンだ。ジンは安く、製法が簡単だったのでただちに広まった。

また、1690年には法令によって誰にでもアルコールを製造し、売ることができるようになったので、イギリスのどの町にもジンの販売店が急速に溢れかえった。

その有名な宣伝文がこれだ。

”1ペニーで酔っぱらい、2ペンスでぐでんぐでん、清潔なストロー付き”

たが、それが犯罪発生率の上昇につながった。

売春婦、追いはぎ、物乞い、スリ、かっぱらい…

ジンを得るためなら人々は何でもした。

当時イギリスでは年間800万ガロンのジンが飲まれ、ロンドンだけでも、1人平均14ガロンのジンが飲まれた。

『切り裂きジャック-ジャック・ザ・リパー』が現れたのは、そんな貧民窟の一角、ホワイトチャペルであった。

メアリの遺体の状況は明らかに異質だった。

物盗りとも怨恨とも思えない。目的はいったい何なんだ?

付近の住人たちがこの不可解な殺人の話題で持ちきりのなか、第2の殺人は起こった。

9月8日、犠牲者は45歳の娼婦アニー・チャップマンであった。

彼女の首はねじれて壁際を向いており、切り落とされかけた首を胴とつなぎとめておくためか、白いハンカチが結わえてあった。

死体は万歳するように両手をあげ、足を開いて膝を立て、大きく広げられていた。

スカートは第1の殺人と同様たくしあげられ、腹部はめちゃくちゃに切り裂かれていた。

耳から耳までを一気に切り裂かれたことが死因のようだ。

そして引き裂かれた腹からは腸が引きずり出され、それは彼女の肩に乗っていた。

子宮、膣の上部、膀胱の3分の2が完全に切りとられていた。

アニー・チャップマンは、もともとは中産階級の出で、ジャックの犠牲者中では唯一教養ある女性であった。

しかし、魔がさしたのかアルコールに溺れ家庭を壊し、売春婦に落ちぶれていた。

しかし気位の高さで仲間内の評判は悪かったようだ。

深酒と肺結核のせいでひどく老けて見えた。

第3と第4の殺人は同夜に起こった。

第3の殺人は午前1時頃。

犠牲になったのは44歳の娼婦エリザベス・ストライドであった。

彼女もまた喉笛を切り裂かれ、鼻から頬にかけてを切りひらかれていた。

そして右耳の一部を切除され、右目は潰れていた。

彼女は「のっぽのリズ」の愛称で知られ、もともとは平和な家庭夫人だったという。

遊覧船の沈没事故で夫と2人の子供を失い、失意のうちに街角に立たなくてはならない身の上になった、という触れ込みだったが、この殺人によりそれが悲しい嘘であることが明るみに出た。

彼女は虚言癖のあるアル中で、精神に異常もきたしていたのである。

第4の殺人は、リズが切り裂かれたその僅か45分後であった。

犠牲者はキャサリン・エドウズ、43歳。

犯人はリズで果たせなかった残虐な死体損壊をキャサリンで遂げたようだった。

彼女の腹部は数回にわたり切り裂かれ、内臓は露出し、腸が肩の上に掛けられていた。

肝臓は切りとられ、左側の腎臓がそっくり切除されていた。

そばの壁にはチョークで殴り書きがしてあった。

”ユダヤ人はみだりに非難を受ける筋合いはない”

しかし、これは反ユダヤ暴動を怖れた警視総監が巡査にいち早く消させてしまったため、証拠としては残らなかった。

『切り裂きジャックの挑戦状』が初めて届いたのは9月28日のことである。

”親愛なるボスへ。

おれはな、売春婦に恨みがあるんだ。お縄を頂戴するまでやめないぜ。おれを捕まえられるもんならやってみな?こないだの赤い血をインキにして使おうとジンジャー・エールの瓶に溜めといたんだが、ねばねばして使い物にならなかったよ。アッハッハ!

お次は女の耳を切り取って旦那たちのお楽しみに送るからな。おれが次の仕事をしたら、世間に知らせとくれ。おれのナイフはよく切れるよ。

――あんたの親愛なる切り裂きジャックより――”

この手紙が真犯人からのものなのか、あるいはただのイタズラなのかは現在に至るも判然としない。

だがここで『ジャック・ザ・リパー(切り裂きジャック)』という名が与えられた瞬間から、彼がただの変態猟奇殺人鬼から一段上の存在になったといえるだろう。

これ以後、本物か偽者かも知れぬジャック名義の手紙はひきもきらず警察に押し寄せることとなった。

中にはアルコール中毒の腎臓の一部と共に、

”地獄より。

ある女から切りとった腎臓の半切れを送るぜ。残りはフライにして食っちまったよ。いける味だったぜ”

と書かれた手紙すらあった。

この腎臓は、鑑定の結果、45歳ぐらいのアル中の女性の腎臓であることが判明した。

つまり、4人目の犠牲者であるキャサリン・エドウズのものではないかと思われたが、当時の技術では正確な鑑定など出来るはずもなく、真相は不明のままである。

こういった手紙はスコットランド・ヤードに1400通近く届いたという。

そのうち、もしかしたら犯人本人のものかもしれない、と目されるものもあり、そのいくつかは同一人物が筆跡を変えて書いたとおぼしきものであった。

そして明らかに故意の誤字、無教養な言い回しをしているところからして、ジャックが無学文盲の人間などではなかったことがわかる。

この事実がさらに、ジャックを謎めいた存在にしていた。

第5の、そして最後の殺人は11月9日に起こった。

犠牲者はメアリー・ジェーン・ケリー。

他の犠牲者と同じく売春婦であったが、25歳と、今まででもっとも若かった。

彼女は自分の借りた貸間長屋で、死体となって発見された。

そのために時間的余裕があったのだろう。犯人は思う存分に切り裂いたようだった。

当時の新聞は惨状を次のように記述している。

”喉元を深く切り裂かれて、首がもげかけている。両乳房は切り取られて、左腕は首と同様に皮一枚で胴体に繋がっている状態だ。

鼻は削がれ、額の皮は剥かれ、大腿は脛まで裂かれてめくれている。

腹部は縦に切り裂かれて、内臓が抜かれて空洞になっており、肝臓は両脚の間に置かれていた。

剥がされた皮膚や切り取られた乳房、鼻などはテーブルの上に積み上げられ、片手は腹の中に押し込まれていた”

また、ここには書かれていないが、引きずり出された腸が額縁に飾られていたそうである。

なお、この「解体」には少なくとも1時間はかかると思われた。

これを最後に『切り裂きジャック』の犯行は途絶えた。

切り裂きジャックの正体は未だ謎のままである。

容疑者として頻繁に名が挙がった人々の中には、ヴィクトリア女王の孫であるクラレンス公さえいる。

その他やれ医師であるとか、産婆であるとか、黒魔術師であるとか、いろいろな仮説が飛びかった。

1988年、切り裂きジャックの誕生から100年。

全英で放映されたTV番組において、FBI捜査官のジョン・ダグラスはジャックについて、こうプロファイルした。

”性的不適応者。女性全般に対する強い怒り。どの事件も被害者の不意をついて襲っているところからみて対人的にも、対社会的にも自信がないことがわかる。

弁舌が不得意。おそらくは貧民窟にいようが明るい道路の下にいようがまったく関心をひかない、およそドラマティックなところのない人物”

またコリン・ウィルソンはこう指摘する。

”切り裂きジャックに関する仮説の多くが、犯人は『ひとかどの人物』だったとの誤った論理に基づいている。その悪名ゆえに、彼をまるで大スターに匹敵する犯罪者だと考えがちである。

しかし、連続殺人者の心理をヴィクトリア朝の人々よりも遥かによく知っている我々の知識に照らし合わせると、切り裂きジャックは『ひとかどの人物』などではなく、取るに足らない人物だということが判る。

そして取るに足らない人物だからこそ、殺人者になったのだろう”

切り裂きジャックの犯人

1888年、英国ロンドンで売春婦5人を殺した伝説の連続殺人鬼『切り裂きジャック』。

200以上の容疑者が挙げられており、事件から100年以上経った現在も切り裂きジャックの正体は解明されていない。

切り裂きジャックは一体誰なのだろうか?

切り裂きジャックの候補となったことのある人物の一部を紹介する。

■クラレンス公

1960年、新聞に「切り裂きジャック」に関する記事を連載していたコリン・ウィルソンは、トーマス・ストウェルという老医師から一通の手紙を受け取った。

”あなたは事件について隠していることがある筈だ”

何も隠していなかったウィルソンは、好奇心からストウェルと面会し、驚くべき話を聞かされた。

ヴィクトリア女王の孫で、英国の王位継承者であったクラレンス公が「切り裂きジャック」だというのだ。

なんでも30年ほど前のこと、王室の侍医だったサー・ウィリアム・ガルの娘に書類の整理を頼まれたストウェルは、クラレンス公に関する機密書類を発見した。

それによれば、公はかなりの遊び人で、変装してはイーストエンドに繰り出して遊び呆けていた。

同性愛者の売春宿に手が入った際に逮捕されたこともあるという。

そして、公の死因はインフルエンザではなく梅毒による脳軟化症だった。

これらのことを組み合わせて、ストウェルは「クラレンス公=切り裂きジャック」との結論に至ったというのだ。

この説はウィルソンの口コミで広まり、やがて1970年にストウェル自身による論文が発表された。

実名は伏せられていたが、英国人ならばすぐにクラレンス公であることが判ったために英国中が大騒ぎとなった。

しかしクラレンス公にはアリバイがあった。

第3、第4の殺人の翌朝にはバルモラルで狩りに興じており、また、メアリー・ケリーが殺害された時にはサンドリンガムの別荘で父の誕生日を祝っていたのだ。

”しかし、誰か人を使えば出来たのではないか?”

■サー・ウィリアム・ガル

クラレンス公は田舎娘(カトリック教徒のアニー・クルックという名の女性)を妊娠させてしまい、そのスキャンダルを隠滅しようと女王の主治医であるサー・ウィリアム・ガルらが動いた、という説がある。

この場合のクラレンス公は、女との逢引のために同性愛売春宿を使っていたという仮説も浮上し、公に異常性癖はなかったという見方が強くなる。

この時、産み落とされたのは玉のような女の子で、アリス・マーガレットと名付けられた。

メアリー・ケリー(最後の犠牲者)はアリス・マーガレットの乳母であったため、クラレンス公とアニー仲を知っていたようだ。

そして、それをネタに王室をゆすっていたということで、王室によって葬られた、というのである。

さらに、メアリーの前に殺された4人に関しては、

・メアリーから公の話を聞いていた(または一緒にゆすりに加担していた)ので抹殺された。

・メアリーを殺害する前に、殺人鬼(切り裂きジャック)の存在をでっちあげておくための犠牲者となった。

という説が存在する。

しかし、サー・ガルが実行犯という説は成り立たない。

なぜなら、彼は1887年、つまり事件の前に脳卒中で倒れており、体の自由が利かなくなっていたのだ。

すると誰か実行犯が他にいるのだろうか?

■ウォルター・シッカート

2002年、作家のパトリシア・コーンウェルが発表した説である。

印象派画家のシッカートは切り裂きジャックを連想させる絵を何点か描いており、そこから、シッカートは切り裂きジャックとなんらかの繋がりがあるのではないか、というものだ。

コーンウェルは、切り裂きジャックの名で送られてきた手紙と、シッカートが書いた手紙からDNAを採取することに成功。

なんと、その二つから、一致するDNAが検出されたというのである。

しかし、コーンウェルの調査に対しての意見は分かれていて、この調査そのものの信憑性を疑う者もいる。

切り裂きジャックの手紙の大半は、その名を語った偽者が出したもの。

そもそも、連続殺人犯本人が手紙を書いて送っていないという可能性さえある。(つまり、切り裂きジャックの手紙と言われているものは、その全てが偽物である可能性を否定できない)

したがって、シッカートが切り裂きジャックの名を語って手紙を出していた場合は、DNAが一致するのも当然だ。

■ジョセフ・バーネット

最後の犠牲者であるメアリー・ケリーと同棲していた男である。

売春をやめるようにメアリーに言っても聞き入れないため、他の売春婦を殺すことで抑止力にしようとした。

しかし、いつまで経ってもメアリーは売春をやめない。

最後にはメアリーに手をかけてしまった、という説である。

FBIのプロファイリングによる犯人像にも当て嵌まるのだそうだ。

しかし、容疑をかけられはしたが、逮捕されるまでには至らなかった。

決定的証拠が見つからなかったのか、それとも、他にめぼしい容疑者がいたのか…。

その後、彼がどこで何をしていたのかは不明である。

■ジェイムズ・メイブリク

1889年に妻であるフローレンス・チャンドラーに殺害された木綿商人。

1991年に発見された切り裂きジャックの物と思われる日記は、メイブリクのものとされている。

又、現場で何度か目撃された、金色の口髭を生やしたジャックの特徴も彼に当てはまる。

日記には、被害者の体の一部を持ち去り、食したとの記述もある。

が、そもそも「切り裂きジャック」からの手紙自体が偽物である可能性があるのだ。

大方の意見も日記は贋作ということで一致しているようだ。

■モンタギュー・ジャン・ドゥルイット

ドゥルイットの名前が浮上したのは1959年のことである。

元警視総監のメルヴィン・マクノートンが残したメモが発見され、テレビで公表されてから一気に広まったのだ。

”ドゥルイットは良家(代々医者の家系)に生まれ、水準の高い教育を受けて育った。

メアリー・ケリーの殺害事件の後に失踪、その遺体は12月31日にテムズ川で発見された。

彼は性的異常者で、私の得た個人的情報からしても、彼の家族も彼が殺人犯だと信じていたことは間違いない”

ドゥルイットがメアリー・ケリー殺害の直後に自殺していることは、当時の大方の見解、

”切り裂きジャックはメアリー・ケリー殺害後、自殺したか完全に発狂して施設に収容された”

と一致する。

しかし、その後の調査でマクノートンのメモにはかなりの嘘があることが判明した。

まず、ドゥルイットは医師ではない。弁護士である。

しかし、満足に食うことは出来なかった。

当時のロンドンは弁護士の就職難で、8人に1人しか食えなかったという。

そのために補助教員のアルバイトをしていたが、やがてゲイであるとの噂が立って免職される。

マクノートンが「性的異常者」としたのはおそらくこの「ゲイの噂」の部分だろう。

また、彼の自殺には理由があった。

母が発狂したのである。

そのため、彼は自分もいつか発狂するのではないかという不安を抱えていたのだ。

確かに怪しげな人物ではあるが「最有力候補」と呼ぶには線が細すぎるだろう。

 

切り裂きジャックの候補は他にも大勢いる。

では、真犯人は誰なのか。

イギリスの小説家であるコリン・ウィルソンはこう指摘している。

”切り裂きジャックに関する仮説の多くが、犯人は『ひとかどの人物』だったとの誤った論理に基づいている。

その悪名ゆえに、彼をまるで大スターに匹敵する犯罪者だと考えがちである。

しかし、連続殺人者の心理をヴィクトリア朝の人々よりも遥かによく知っている我々の知識に照らし合わせると、切り裂きジャックは『ひとかどの人物』などではなく、取るに足らない人物だということが判る。

そして取るに足らない人物だからこそ、殺人者になったのだろう”

とすると、案外、メアリー・ケリーと同棲していたというジョセフ・バーネットが「最有力候補」となるのかもしれない。

造り上げられた犯人

正体不明の連続殺人犯『切り裂きジャック』には200以上もの容疑者がいる。

しかし、どの切り裂きジャックも仮説の域を出ない。

未だ推理が続く中、殺人捜査専門のベテラン元刑事が、衝撃的な結論を発表した。

1世紀以上に渡り英国市民を翻弄した連続殺人事件の真相、それは

”切り裂きジャックは存在しなかった”

というものである。

 

結論を発表した元刑事のトレバー・マリオットは、退職後11年間に及び事件を調査した。

警察の協力のもと、書類を精査し、また現代の検屍技術を応用して事件の解明にあたった。

”この事件の真相は、メディアによって長い間ゆがめられていたんです。

多くの人がこの事件に言及しましたが、そのほとんどすべてが事件をミスリードしていました。

『ジャック』は5人の殺人事件の容疑者とされてきました。

しかし実際には、その事件の前後にも数多くの類似した事件が、英国はもちろん、アメリカやドイツでも起きているんです”

マリオットによると、1863年から1894年の間には、ジャックと同じ手法による殺人事件が17件起きていたという。

ドイツのセールスマン、カール・フェイゲンバウムという男がその事件のいくつかに関与していることは間違いがないものの、すべてが彼による犯行である可能性は低いとしている。

頻繁にドイツと英国、アメリカを行き来していたカールはアメリカで逮捕され、1896年に処刑された。

実際にはその当時、数多くの未解決事件が起きており、そのほとんどは忘れ去られていた。

しかし、トーマス・ブリンという人物が『ジャック』を造り上げたという。

ブリンは1888年、ロンドンの中央新聞局に所属したフリーの新聞記者だった。

ほぼアルコール中毒であったブリンはスクープをねつ造するために『切り裂きジャック』を名乗る犯行声明文を中央新聞局に届け、警察に送らせたとマリオットは推測する。

またマリオットはこれまでに世に出た本や映画の多くが、逆にジャックのイメージを造り上げたことを指摘する。

”本や映画に出た約80%近くのジャックのイメージが、黒いハットに、黒いケープを着た姿で描いています。

これはいうまでもなく上流階級の人の服装です。

しかし1888年、そんな姿で深夜にロンドンのホワイトチャペルを歩いてみようものなら、おそらく5分と待たずに犯罪にあったはずです。

あの地域は英国でも最悪の治安の地域でした。

つまりこのジャックのイメージさえも、ハリウッド映画のように作られたものだったんです”

また現場では“死体から内臓が取り出されていた”とされた点についても、調査の結果、実際には内臓は検死段階で取り除かれていたことが分かったという。

つまり、

”切り裂きジャックなどと呼ばれる男は存在しなかった”

ということだ。

この説は事件から125年後の2013年に発表されたものだ。

マリオットはこの事件調査の結果を本にまとめ、現在英国で講演を行っている。

そこではほかにも得られた決定的な検屍結果を公開し、更に詳しく事件の真相に切り込んで解説しているという。

 

信じるか信じないかは貴方次第。

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