世界で唯一の未解決ハイジャック事件

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1971年11月24日。

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ノースウエスト航空(現デルタ航空)11便(機体はボーイング727-100型)は、アメリカ・ワシントンD.C.を離陸し、オレゴン州ポートランド空港を経由して、16時35分、最終目的地であるシアトルへと飛び立った。

シアトルまでは約1時間の予定である。

離陸して間もなく、ポートランド空港で乗り込んだ一人の男性客が、機内サービスに訪れた客室乗務員の女性にバーボンを注文し、代金と一緒に一枚のメモを渡した。

ナンパが目的で女性乗務員に自宅の電話番号のメモを渡すということはよくあるらしく、女性乗務員はその類かと思いながらもメモを受け取った。

だが男はその際にこう言った。

”爆弾を持っている。すぐ見て欲しい”

…まさか本当のはずがない。

彼女がそう思いながら受け取ったメモを見ると、そこには、爆弾を持っていること、乗客の身代金として20万ドルを要求すること、パラシュートを4つ用意すること、などが書かれていた。

もし本当のハイジャックだったら、と思った彼女はすぐに操縦室にこのことを伝えた。

操縦室も半信半疑だったが、乗務員同士で話し合った結果、機長が実際に確かめに行くことになった。

客室に来た機長は、男の隣の席に座った。

”本当に爆弾を持っているのか”

乗客に聞こえないよう配慮しながら尋ねると、男は自分のアタッシュケースを開けてみせた。

中に入っていたのはダイナマイトだった。赤い管と導火線が見えた。

機長は再び操縦室に戻るとすぐに、ハイジャックされたことを管制塔に伝えた。

この機に搭乗しているのは乗員が6人と乗客が36人。

乗客に知られると機内がパニック状態になるので、乗員たちは、乗客に悟られないよう、静かに行動した。

管制塔からは「犯人に従うように」という指示が出された。

乗客名簿によれば、男の名前は「ダン・クーパー」となっていた。

しかし偽名であることはほぼ間違いない。

17時45分、ノースウエスト航空11便は、シアトル・タコマ国際空港へ予定通り着陸した。

”要求したものが手に入ったら次の指示を出す。乗客はそれまで降ろすな”

クーパーは機長たちにそう言った。

機内アナウンスで「ただ今ターミナルが大変混雑しておりますので、しばらく機内でお待ち下さい」と放送し、乗客たちに待ってもらうことにした。

間もなくクーパーの要求した現金20万ドルとパラシュート4つが機内に運び込まれた。

現金20万ドルは、現在の日本円で約1億に相当する。

目的の物を確認したクーパーは、乗客全員を降ろしてもよいという指示を与えた。また、乗員も2名開放してやった。

機体の外では多数の捜査員が待機しており、突入の機会をうかがっていた。

場合によっては射殺せよとの命令も出されていた。

この光景や後から聞いた話で、乗客たちは初めてこの飛行機がハイジャックされていたことを知ったという。

機内にはまだ4人の乗員が人質として残されている。

クーパーはこの乗員たちを乗せたまま、ネバダ州リノまで飛ぶように要求した。人質がいる以上、従わざるを得ない。

19時40分、ボーイング727はリノを目指して再び離陸した。

離陸するとクーパーは、機長に高度1万フィート(3000メートル)を維持するように命令した。

さらに車輪を出し、フラップの角度を15度下げるようにも指示した。

このような飛び方をすれば、空気抵抗が増し、飛行の速度は極端に落ちる。

旅客機は普通、高度6000メートルから1万メートルを飛行する。そして速度は時速1000kmくらいが通常の飛行である。

ボーイング727の飛行速度は、車輪とフラップにより、時速320kmにまで落ちた。

高度も速度も異例の飛び方であり、犯人の意図も不明だったが、機長は従わざるを得なかった。

FBIからの連絡を受けて、米軍のF-106戦闘機がボーイング727の追跡を開始した。

20時ごろ、犯人は乗員に対し、全員操縦室に入るように指示した。

そしてそこから絶対出て来るなと言い残して自分は客室に戻った。

その10分後の20時11分頃、ボーイング727の後部にある非常用ドア(昇降用階段)が開いた。

次の瞬間、そこから一人の人間が飛び出した。

現金を持ってパラシュートを背負ったクーパーだった。

ドアを開けた瞬間、機内には暴風が吹き込んできた。

機体は大きく揺れ、客室にはすさまじい風の音が響く。

操縦室にいた乗員たちも当然異変を感じとったが、ここから出るなと言われている以上、様子を見に行くわけにもいかなかった。

追跡していたF-106戦闘機は、犯人のこの行動に気づかなかった。

夜間の上に曇り空で、視界が非常に悪かったためである。

当時のボーイング727は、飛行中でも手動で非常用のドアを開けることが出来る構造になっていた。クーパーはそのことを知っていたのだ。

機体が不安定なまま飛行を続けたボーイング727は、22時15分、何とかリノに着陸することが出来た。

着陸するとすぐに機長と副機長はクーパーに次の指示を聞くために客室に入った。

しかしそこには誰もいなかった。

着陸の際、機体後部の非常用ドアが開いているのは空港で待ち構えている捜査員たちも気づいたが、着陸してから、そのドアからは誰も出て来ていない。

犯人は飛行中に消えたとしか考えられなかった。

後で考えてみると、犯人が高度を3000メートルに保つように指示したのも、車輪やフラップで速度を落とさせ、時速320kmくらいで飛行させたのも、飛び降りることを前提とした指示だったのだ。

旅客機が通常飛行で飛ぶ1万メートル近い高度では、外はマイナス20度くらいの世界であり、更に酸素も薄い。

しかも、通常飛行の速度である時速1000kmくらいの状態で外に飛び出せば、すさまじい風圧が身体を襲う。

おそらく生きて地上に降りることは出来ない。

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上空からパラシュートを使って飛び降りるといえば、まさにスカイダイビングであるが、犯人の指示した飛び方は、スカイダイビングを行う際の条件に極めて近いものであった。

犯人の着地した地点は、ボーイング727の飛行コース、速度、ドアが開かれた時間などから、ポートランドの北・約50kmにあるアリエルの郊外の山の中だと推測された。

500人の捜査員を使い、大規模な捜索が18日間に渡って行われたが、手がかりとなるものは何も発見されなかった。

森の中で死んでいるのならば、死体や現金が見つかるはずであるが、発見されない。

その代わり、クーパーとは関係のない他の行方不明者の死体は何体も発見された。

ボーイング727の客席に指紋は残っていない。

更に、奪われた紙幣は全て番号が記録されていたが、それらの紙幣が流通した形跡もない。

クーパーの手がかりは、ほぼ完全に途絶えてしまった。

まるで映画のような手口でハイジャックを成功させたクーパー。

死体も見つからないことから「ダン・クーパーは生きている」との印象も広がり、マスコミも大々的に報道したことから、クーパーは犯人というよりヒーローのような感覚で人々の話題となった。

クーパーのTシャツが発売されたり、「俺がダン・クーパーだ」と警察に名乗り出る者も何人もいた。

だが、名乗り出た者は皆、人騒がせな偽物ばかりであった。

FBIはダン・クーパーを指名手配したが、後に「ダニエル・B・クーパー」という人物を容疑者として拘束し、これをマスコミが報道したために、犯人の名前は「D・B・クーパー」だと、世間に広まってしまった。

結局ダニエル・B・クーパーは犯人ではなかったのだが、アメリカではこの事件は一般的に「D・B・クーパー事件」と呼ばれるようになった。

事件から8年以上経った1980年2月、ワシントン州を流れるコロンビア川流域で、290枚の20ドル紙幣が発見された。

この地にキャンプに来た家族が偶然発見したもので、290枚の紙幣は束のまま地面に埋まっていたという。

紙幣のナンバーを調べてみると、クーパーに奪われた紙幣であることが判明した。

いつ頃から、この地に埋まっていたのかを考古学者に依頼して地質調査などをしてもらった結果、この紙幣は、クーパーの事件のあった1971年に埋められたものではなく、それから3年ほど経った1974年以降に埋められたものであることが分かった。

このことから考えられることは二つ。

一つは、事件から3年以上経って、誰かが外部から持ち込んでここに埋めたというケースである。

だがもし、そうであったとしたら、そのような行動をする意図が不明である。

そしてもう一つは、クーパーがあの時、逃亡の負担になるだろうという考えから、いったん川の付近に金を埋めて、後に取りに来るつもりだったものが、思いの他警戒が厳しくて取りに来れずに3年以上経過してしまい、そのうち埋めた金が雨などで流れ出してここに流れついたというケースである。

しかしこの紙幣は発見されただけにとどまり、ここから新たに捜査が進展するということはなかった。

この事件は、犯人の正体が不明のままで逃亡された、世界で唯一の未解決ハイジャック事件と言われる。

犯人のダン・クーパーがその後どうなったかについては、いくつかの推測がされている。

【説1:逃亡説】

1972年には、「パラシュートによって、ハイジャックした旅客機から逃走しようとした事件(模倣犯)」が3件発生した。

最終的にはいずれも検挙され、「ダン・クーパー」だけが逃げ切ったと思われていた。

捜査当局が「ダニエル・B・クーパー」を被疑者として拘束したため、「D・B・クーパー」が被疑者であるかの誤解を報道機関に与え、世間一般に後者の名が広まった。

【説2:死亡説】

1980年2月13日、身代金の一部が発見されたため、「犯人はコロンビア川に落ちて溺死した」、もしくは「冬の夜の寒さで凍死した」などと言われた。

彼が使用したパラシュート2つのうち、1つは地上訓練用の空中では展開しないダミーであったため、「パラシュートが開かずに墜落死した」という説もあった。

【説3:逃亡して死んだ説】

2011年8月2日付の「ロサンゼルス・タイムズ」など複数の海外メディアによると、FBIの特別捜査官が「約10年前に老衰で死亡した男性の正体がD・B・クーパーである」という証言を入手。

現在、死亡した男性の指紋、DNAと、事件当時機内に残された指紋、遺留物に付着したDNAの鑑定が行われている。

この結果、同一人物であると判明した場合、犯人は犯行後に約30年間逃げ延びた後、逮捕されずに死んだことになる。

【その他の説】

1991年に出版された書籍には、「1972年に同様の事件を起こした元軍人の男性(リチャード・マッコイ)が犯人ではないか」という説が書かれた。

リチャードは元軍人。

スカイダイビングのインストラクターをしておりD・B・クーパーの犯人像に重なったばかりか、人相も酷似していた。

クーパーと同じように飛行中に飛び降り、この時は逃亡に成功したが、機内の座席にあった新聞に指紋を残してしまっており、これが決め手となって、後日逮捕された。

裁判での判決は、懲役45年となった。

しかし1974年8月、マッコイは脱獄に成功する。

服役中、マッコイは、所内の歯科治療室の手伝いの担当になっていたが、歯型などを作るための石膏を盗み出し、それを別の囚人に頼んで銃の模型を作ってもらっていた。脱獄のための小道具である。

色まで塗って本物の銃のように見せかけ、毎週定期的に来るゴミ収集車が来た時を狙って、この銃で看守を脅し、ゴミ収集車を奪って、刑務所の門を一気に突破した。

しかし、潜伏先をFBIに追い詰められ射殺されたという。

2000年、ある女性が、1995年に死んだ夫につき「夫が死ぬ間際に、『ダン・クーパー』であったと告白した」とする記事が「U.S. News and World Report」に掲載された。

同記事は「夫の筆跡と、犯人メモのの筆跡がよく似ていること」などを根拠にする。

 

この事件以降、アメリカの航空会社が使用しているボーイング727やマクドネル・ダグラスDC-9、コンベア440などのリアドアは一般乗客の乗降用に使用されることが禁止されることとなった。

 

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