童謡『赤い靴』の秘密

2015-12-04_114804

『赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった』

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童謡「赤い靴」は外国人に連れ去られる歌。赤い靴を履いていた女の子を外国人が誘拐して、売り飛ばす歌といわれている。なぜそのような解釈がなされるようになったのだろうか。

モデルはいるのか?

静岡県清水市有渡郡不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)出身の岩崎かよの娘・きみ(1902年7月15日~1911年9月15日)がその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。

岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、社会主義運動の一環として当時注目されていた北海道の平民農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父・佐野安吉の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。

やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に侵されており、アメリカに連れて行く事ができず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまう。

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きみは母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で亡くなったことは知らないまま、一生を過ごした。

野口雨情の作詞

1903年(明治36年)に社会主義詩人として出発していた野口雨情は、1907年(明治40年)、札幌市の新聞社に勤めていたときに、平民農場を辞めて新聞社にいた同僚の鈴木志郎や妻のかよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」という話を聞かされた。

その後、野口雨情は1921年(大正10年)に、この話を題材にした『赤い靴』を発表した。

一通の投書

1973年(昭和48年)、きみの異父妹・岡その(鈴木志郎とかよの三女)が、新聞に「私の姉は『赤い靴』の女の子」と投書。この記事に注目した北海道テレビ記者の菊地寛が調査を開始した。

菊地は5年にわたる取材ののち、上記の事実を確認し、1978年(昭和53年)に『ドキュメント・赤い靴はいてた女の子』というドキュメンタリー番組を北海道テレビで制作・放送した。その後、菊地は、ノンフィクション小説『赤い靴はいてた女の子』(現代評論社刊)を1979年(昭和54年)に発表、この本の記述が「定説」として定着したとされる。

しかしこの説は定説として成り立たないという意見も多く存在する。赤い靴の少女は存在しない、赤い靴とはソビエト連邦の隠喩だ、などと真相は闇の中である。

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信じるか信じないかは貴方次第。

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