童謡『赤とんぼ』の秘密

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童謡「赤とんぼ」は、作詞:三木露風、作曲:山田耕筰による日本の代表的な童謡のひとつである。詞の内容はご存知のように、夕暮れ時に赤とんぼを見て、故郷での幼かった日々のあれこれを懐かしく思い出すという郷愁にあふれた歌詞である。

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しかしこの詞にも、このメロディにも、奇妙な噂がずっとつきまとっている。

詞にまつわる噂とは?

まず歌詞は「第二次大戦での日本の敗北を歌ったもの」と囁かれている。

しかし時制が合わない。第二次大戦(太平洋戦争)の終結は1945年8月15日だが、この詞を三木が書いたのは1921年(大正10年)。故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれ、童謡集「眞珠島」に発表されている。

終戦の24年前に書かれた詞がどうして「第二次大戦での日本の敗北」を歌うことができるだろうか。

詞の検証

まず歌のタイトル「赤とんぼ」。これは(太平洋戦争)で勇名を馳せた「ゼロ戦」(零式戦闘機)のことであるとか、旧日本陸海軍航空部隊において主力中等練習機として各数千機が生産され、多数の操縦者を育てあげた練習機のことを指しているといわれている。

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事実、練習機は機体全体を目立つ橙色(オレンジ色)に塗装されていたため、愛称として「赤とんぼ(赤トンボ)」とも称されていた。確かに戦争との繋がりはある。

次に歌詞にある「おわれてみたのは~」という表現。これは「負われてみたのはいつの日か」と解釈される。つまり「戦争に負ける」を表した詞だということになる。

普通に考えれば、戦後になって「赤とんぼ」(戦闘機)と「負われてみた」(敗戦)が結び付き、戦争体験者たちの間でそう解釈されるようになったのではないかと思われるが、ふたつのキーワードの符牒があまりにも合いすぎている。

三木は本当に「敗戦を予見」していたのだろうか?

メロディの検証

三木から歌詞を受け取った山田耕筰は、1927年(昭和2年)に曲をつけた。このメロディにもある噂が囁かれている。

それは、この曲のメロディはシューマンの『序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134』の中で18回も繰り返されるフレーズに酷似しているのだ。

ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann)は ドイツの作曲家でロマン派音楽を代表する一人で、1810年6月8日に生まれ、1856年7月29日に没している。『序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134』の作曲された年は不詳だが、没年に作曲されたとしても山田が曲をつけた1921年より65年も前には完成していたことになる。盗作とまではいかなくても、相当な影響下で作曲が行われたのは間違いないだろう。

敗戦予知の謎の多い詞とシューマンの名作と同様のメロディ。「赤とんぼ」は、幼かった日々を思い出し郷愁を呼ぶだけの童謡ではないらしい。

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信じるか信じないかは貴方次第。

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