童謡『汽車ぽっぽ』の秘密

2015-12-04_114518

「汽車ぽっぽ」はスピード感のある痛快な童謡として、男の子たちに人気の歌だ。しかし、この曲にふたつの詞があるのは、あまり知られていない。知っている人がいるとしたらもう皆さん70歳以上の方ばかりだろう。

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紅白歌合戦で初披露

1945年(昭和20年)の大晦日。NHKラジオの『紅白音楽試合』(NHK紅白歌合戦の前身)で川田正子によりこの曲が歌われた。

当時、「汽車ぽっぽ」のレコード発売に当たって面白いエピソードがある。川田は歌詞の一部を間違えて歌ってしまったのだ。しかし当時はレコードの原盤が非常に高価だったため再録音せずにそのまま発売したという。

しかし「ふたつの詞」とはこのことではない。

太平洋戦争の影響

この童謡の原曲は、実は1937年(昭和12年)にすでに発売されていた。曲名は『兵隊さんの汽車』。歌詞は蒸気機関車(汽車)に乗って出征する兵士を見送る内容であった。歌詞の内容は、兵隊を乗せる汽車、日の丸の旗を振る子供達、そしてフィニッシュは万歳(萬歳)の連呼という軍国主義全開のものだった。

この歌を戦時中に毎日毎日、NHKのラジオで歌ったのもまた川田正子だった。しかし昭和20(1945)年8月15日、唐突に終戦。その年暮れ「紅白音楽試合」が放送されることになり、当時11歳だった川田にも当然、出場要請がきた。歌う歌はもちろん十八番(おはこ)の「兵隊さんの汽車」のはずだった。

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占領軍(GHQ)からNG

当時、敗戦国だった日本はアメリカの統治下にあり、放送内容のひとつひとつ、放送で流す曲もチェックされていた。当然「兵隊さんの汽車」は「敗戦国民が何ごとだ!」とNGが出てしまった。これではさすがに歌うわけにはいかない。それが放送本番の4日前のこと。

急遽「兵隊さんの汽車」の作詩家、冨原薫のもとにNHKのプロデューサーが赴き、新しい歌詩の制作を依頼した。富原は静岡県駿東郡御厨町(現在の御殿場市)で教員として働いており、旧陸軍の演習場があった御殿場線の御殿場駅で見た光景を歌詞にしたという。

そして新たに生まれ変わった現在の「汽車ぽっぽ」が「紅白」で初披露され、子どもたちの愛唱歌になっていった。

~「真っ赤なポルシェ」と「伊代」~

歌詞の言葉が替えられるような事態は現在もある。メディア各局には放送規定があり、中でもNHKは営利目的の文言を排除しており、例えば「ソニー」ならば「大手電機メーカー」として紹介される。

歌詞の変更を要請されたので有名なのは、山口百恵の歌う「プレイバック パートⅡ」(作詞:阿木曜子)。歌詞のポルシェという表現が、クルマに変更された。クルマはカテゴリー名であるが、ポルシェは商品名であることがその理由とされた。

また、アイドル歌手・松本伊代の歌ったデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」(作詞:湯川れい子)もNHKから歌詞の変更を求められた。歌詞の中に自分の名前「伊代」という部分があり、その部分を「わたし」と変更して歌った。これもまたNHKの基準に照らして「歌詞が個人宣伝になる」とされたためであった。

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信じるか信じないかは貴方次第。

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