童話・昔話『姥捨て山(うばすてやま)』の秘密

2015-12-04_110827

棄老伝説というものがある。口減らしなどのために高齢の親を山に捨てることをいう。

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「姨捨」の名は、親をこの山に捨てた男性が、山を照らす名月を見て後悔に耐えられず、翌日連れ帰ったという『大和物語』によるといわれる。棄老伝説は古代インド(紀元前200年頃)の仏教経典『雑宝蔵経』の説話に原点があるとされている。

事実なのだろうか。たんなる言い伝えにすぎないのだろうか。

小説「楢山節考」を読む

この話をもとにした小説がある。『楢山節考』(ならやまぶしこう)は、深沢七郎作の小説。棄老伝説をベースに、信州の寒村に住む人々を描く。小説のあらすじは次のようなものだ。

山に囲まれた信州のある村。今年も楢山の歌が歌いだされる季節になった。村の年寄りは七十になると楢山参りに行くのが習わしで、六十九のおりんはそれを待っていた。

息子の後妻も無事見つかって安心したし、山へ行く時の支度はととのえてある。済ませることはあともう一つ…。

塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る。自分が行く時もきっと雪が降る。おりんはその日を待ち望む。孝行息子の辰平は、お供で一緒に行くのだが、気が進まず元気がない。

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しかし家計を考えて年明けも近い冬の夜、誰にも見られてはいけないという決まりのもと、背中に母を背負って楢山参りへと出かけていく。辛くてもそれが貧しい村の掟なのであった。

『楢山節考』は1958年、木下恵介監督により映画化もされている。1983年には今村昌平監督により2度目の映画化。その年のカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞している。

姥捨ては本当にあったのか

7世紀に始まる日本の古代法制度下では20歳以下の若年者、60歳以上の老齢者や障害者には税の軽減など保護がされていて、法制には棄老はない。このため、個人的な犯罪行為ということになるが、村落という狭い共同体における掟であったのか歴史研究家によって見解が分かれている。

村落の貧しさを考えればありそうな話だが、もしあったとしても決して口外してはならないタブーだから、事実が明らかになることはないだろう。

~さまよった姥捨山の位置~

姨捨山(うばすてやま)は、長野県千曲市と東筑摩郡筑北村にまたがる山。正名は冠着山(かむりきやま)で冠山(冠嶽)とも更科山とも称され、坊城とも言われた。古称は小長谷山(小初瀬山・小泊瀬山、おはつせやま)。

江戸時代の制作と見られる川中島合戦陣取り図(長野市立博物館所蔵)には冠着山(冠着嶽)と姨捨山は明らかに別の山として描かれている。

古峠を通って古代の街道を使用した旅人によって古今集に歌われたのは冠着山だ、と主張した地元村長の塚田雅丈による国土地理院への請願活動で「冠着山(姨捨山)」の名が一般的になったのは明治期以後と言われる。

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信じるか信じないかは貴方次第。

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