東貴博『戦火を駆け抜けた奇跡の地下鉄』

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都市伝説テラー・東貴博戦火を駆け抜けた奇跡の地下鉄について語る。

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あまり知られていない話だが、2015年は日本で地下鉄が開通してからちょうど100年目である。日本初の地下鉄は1915年に東京駅と中央郵便局、これを地下で繋いだ200mあまりの地下鉄が日本で最初である。これは郵便貨物専用だったが、それが今発展して、我々の足となっている。

この地下鉄100年の歴史の中で唯一走る事が出来なかった時期が第二次世界大戦である。

実は東貴博の父・東八郎も東京で空襲に遭っている。東八郎は低空飛行してきた戦闘機に射撃された。命は助かったが、その時の恐怖はずっと植え付けられたという。

そんな東京で一番被害が大きかったのが東京大空襲であるが、10万人以上の人が亡くなった。

調べると新聞には『政府の方針として空襲が起こった時に地下鉄を避難場所に使用してはならない。』という恐ろしい記事が踊っていた。国民は地下に逃げれば命は助かるのではないかと希望を持っていたが、この発表でその希望は断たれてしまった。

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それどころか政府は空襲は怖くない、爆弾から火が出たらそれは皆で消すのだと戦意高揚を煽っていった。更に恐ろしい情報は『手袋をすれば焼夷弾は熱くない。焼夷弾は怖くない。焼夷弾を見つけたら手袋をつけて消すんだ。』というものである。

そして空襲が発生すると政府の指示通り地下鉄は封鎖され、避難に使われる事はなかったが、終戦間近の1945年、大阪にもB29が飛来してきた。大阪大空襲が発生し、13万戸が焼けた。

甚大な被害を受けたのは御堂筋の方面で心斎橋は特にひどく、逃げる所も隠れる所もないような状態。その時に閉まっているはずの地下鉄の入り口が開いた。そして中から、「早く入りなさい。」という声が聞こえてきた。これは地下鉄の駅員が中に促してくれた。中に入ると大勢の人が命からがら逃げていた。

そして朝方に地下鉄がホームに入って来て、避難している全員を電車に乗せてまた走り出した。数分後梅田の駅に到着した。梅田は爆撃を受けていなかったので無傷だった。乗客が外に出た頃には既に夜が明けていた。

こういった話が伝わっているにも関わらず、こういった記録は一切残っていない。

何故ならばその理由は空襲の時に電車を動かした地下鉄、そして中に招き入れた職員は政府の方針に背いた法令違反に当たる。それを恐れて誰も記録に残さなかった。

しかし、助けられた人たちはこの名もなき英雄に感謝し続けている。

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信じるか信じないかはあなた次第。

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