東貴博『瀬戸内海に消えた龍馬の財宝』

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都市伝説テラー・東貴博瀬戸内海に消えた龍馬の財宝について語る。

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東貴博は全国各地ロケで回っていると思わぬ歴史の謎に出会う事がある。

2015年で行った中で興味深かったのが瀬戸内海。広島県の福山市という所に鞆の浦という風光明媚な場所があるが、ここは日本で初めて国立公園に指定された本当に美しい港町である。

宮﨑駿のジブリアニメ映画『崖の上のポニョ』の舞台になった場所でもある。

そしてここはもう一つ。歴史の大きな舞台になった場所だが、その中心人物が坂本龍馬である。

『坂本龍馬』と『鞆の浦』というキーワードは歴史が好きな人ならピンとくるかもしれないが、『いろは丸沈没事件』というのが起きた場所である。

この『いろは丸沈没事件』とは何かと言えば、1867年、この鞆の浦の沖合で坂本龍馬達海援隊の乗ったいろは丸と紀州藩の栄光丸という軍艦が衝突事故を起こし、坂本龍馬達の乗ったいろは丸が沈没してしまう。

そしてこの事故の損害賠償をめぐって大論争が巻き起こるが、坂本龍馬の主張というのが、「俺達の船には銃が400丁、そして金塊8万両程乗っていた。それを紀州藩が賠償しろ!」というもの。

この8万両とは現在のお金に換算すると164億円で莫大な金額になる。

紀州藩に非があるとは言え、そんな易易とお金を支払うワケがない。

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この時の交渉にバックアップする人物がいる。それが坂本龍馬の上役でもある、後の明治政府の大臣も務める後藤象二郎である。この後藤象二郎ともう一人、海援隊の会計係を務め、後の三菱財閥の礎を築く岩崎弥太郎も加勢した。この2人が交渉に関わる事により、有利に交渉を進めていく。

繁華街でこの沈没事故を起こした州藩は償いをせよという歌を流行らせて、世論を味方につけ、結果、紀州藩から164億円以上と呼ばれる莫大な賠償金を手に入れる事が出来た。

このいろは丸の展示館というのが鞆の浦には存在し、その後のいろは丸の記録が記されている。

そこに驚くべき事実が書かれていた。というのもこのいろは丸、海底に沈んでいるのが発見された。発見された年は1989年と比較的最近で、これまで4回程、潜水調査が行われた。

そして、調べてみると、坂本龍馬が主張していた銃400丁、金塊8万両は一切出てこなかった。

この謎を解く鍵というのが、この莫大な賠償金の行方である。このお金、紀州藩から一旦、後藤象二郎のいる土佐藩に支払われる。そして海援隊、坂本龍馬の手に渡るはずだったが、坂本龍馬の手に渡る事はなかった。

なぜなら、その理由は、この時坂本龍馬は京都にいた。この京都で暗殺されてしまうからである。

その時、この坂本龍馬が殺されて一番得する人物。それは誰なのかという話になってくる。

そして、この賠償金、明治維新の後、色々ごたごたがあり、そのお金が何に使用されたのか記録は一切残っていない。

但し、この明治維新の後、後藤象二郎の援助を受けて、岩崎弥太郎は三菱商会という会社を立ち上げる。これが奇しくも坂本龍馬達海援隊が行っていた海運業で大成功し、現在の三菱財閥の礎を築いていく。

この資金はどこから流れてきたのか。誰が一番坂本龍馬が死んで得をしたのか。全国各地を回っていると意外な歴史の謎と出会う事がある。

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信じるか信じないかは貴方次第。

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