オリラジ・中田敦彦『家紋に込められた怨念』

2015-12-16_005828

都市伝説テラー・オリエンタルラジオ中田敦彦家紋に込められた怨念について語る。

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家紋の中で一番高貴とされている家紋は皇室の「菊の紋」である。その次は「桐の紋」という戦国武将の3英雄、豊臣秀吉(豊臣家)が使っていた紋だ。この紋は非常に位が高く、秀吉が歴史上はじめて、武将のなかで天皇家から紋を頂いたのである。

秀吉の紋は今、日本で公式に使っている人がいる。それは総理大臣である。500円玉にもこの紋が使われており、日本人は全員見たことがあるだろう。

ここで歴史に詳しい人であれば何かおかしい事に気付くはずだ。

徳川が倒れ、明治維新が起こった後に新しい日本の政府のトップが、その二個前の豊臣の家紋を使ったという事になる。

これは縁起が悪く、不思議な事である。ここで深い意味を読み取ることもできる。

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倒幕後の明治政府は誰なのかを考えると、初期の頃の総理大臣は主に二つの藩が担当していた。

それは薩摩と長州である。

関ヶ原の戦いで徳川軍と豊臣軍が戦った時に豊臣が負け、徳川が勝ったので江戸時代がスタートした。

負けた石田光成が率いていた豊臣軍の中にどのような武将がいたかというと、薩摩、いわゆる鹿児島の島津、長州、いわゆる山口県の毛利がいたのである。この非常に有力な島津と毛利という薩摩と長州の武将が負けた豊臣の軍の家臣だった。

だとすると、信長が裏切られ、それを仇を取った秀吉が天下を取りかけたが、結局負け、家康が天下泰平を取ったのだと思っていたが、その家康に負けた部下たちは三百年の間、怨みを忘れていなかったという事になる。

豊臣家の家紋が明治政府発足後にこれだけ重要視されたのは三百年越しに復讐をした事になるのだ。

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信じるか信じないかはあなた次第。

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